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Highlighting JAPAN

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特集震災復興

被災地で活躍する外国人(仮訳)

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3月11日に壊滅的な地震と津波が発生した後、現地に住む多くの日本人と外国人は、できる限り早く避難することを選んだ。補給線の喪失、大規模な余震のリスク、そして福島第一原子力発電所で次々と明らかになる未知の恐怖が重なり、安全な避難ルートが見つかり次第、避難を試みることは多くの人々にとって容易な判断だった。

しかし、滞在し続けることを選び、すぐに救援・復旧作業を始めた人々もいる。

人口41,000人のうち約1,300人が津波で亡くなったとみられる岩手県の小さな都市、釜石市では、地元のラグビークラブである釜石シーウェイブスの選手がスポーツで鍛えた腕力とスタミナを活かして救援活動に従事している。津波の発生後、不安がピークに達している時にラグビーチームが行った活動は、世界中の人々の心を捉え、日本国内の人々にも深い感銘を与えた。

釜石は、日本で「ラグビータウン」として知られており、シーウェイブスは、伝統的に海外の数多くのスター選手を抱える強豪チームだ。34人の全メンバーは、3月11日の災害を乗りこえた。

釜石シーウェイブスのキャプテンであり、元オールブラックスのメンバーであるピタ・アラティニ氏は、復興を支援するために、7年間住み続けたこの町に滞在を続けている3人の外国人選手の1人である。アラティニ氏は、その時、レポーターに対して、「私は、この町を愛しており、日本人の友人がたくさんいます。私たちは、この町を復興できます」と述べている。

このチームは、災害の生存者に対して日本中および世界中から続々と集まってきた食品、衣類、その他の物品をトラックから降ろすために、他のボランティアを手伝った。

釜石に2年住んでいるオーストラリアのスター選手、スコット・ファーディー氏は、地震が起きたときに自分のアパートにいた。「非常に怖かったですが、私がいたビルはうまく耐えました。数時間後、私たちは、クラブハウスへ行くように言われ、そこに約30人の選手と家族が集まっていました。それから数日間、私たちは、食品を持ち寄り、火を焚きおいしい料理を作りました。」

ほとんどの在日大使館が自国民に対して日本の東北方面への旅行を控えるようにアドバイスしている時、ファーディー氏は国外に出ることを考えなかったのだろうか?

「私は、この町を愛するようになりました。私にとって、滞在を続けるとの判断に至ったのは簡単なことでした。非常に安全に感じましたし、食事も不自由しませんでした。チームメートも一緒にいて、私はその一員です。全員が健康な若者なので、日本人であれ外国人であれ、自分たちは何らかの形で役に立てることを分かっていました。」

ファーディー氏は、自分が慣れ親しんだ町が必ず復活すると確信して、次のように述べている。

「私は、釜石が復活する見込みが大きいと思います。現状を見ると悲惨であり、津波後の町を歩くのは胸が張り裂ける思いです。しかし、現地の人々は驚くほど強く高潔であり、これまで同様にコミュニティ全体が結束して協力していくでしょう。」

シーウェイブスのファンと元選手が釜石の大規模な復興活動で協力し、慈善試合を開催し、寄付を行っている。シーウェイブスのプレシーズンのトレーニングは、5月初めには本格的に開始された。

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