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April 2024

日本固有のサクラの種類と花を愛でる文化の歴史

  • 勝木俊雄さんが発見したクマノザクラ
    Photo: 勝木俊雄
  • ‘染井吉野’は成長が早く、様々な環境に適応でき、今では日本全国、公園や街路樹として多く植えられている。葉が出る前に花が咲くのが特徴だ。Photo: 勝木俊雄
  • 勝木俊雄さん
  • ヤマザクラは白い花弁と赤い葉が開花と同時に開く。
    Photo: 勝木俊雄
  • エドヒガンは花の後に葉が出る。花のつけ根の花床筒が膨らんでいるのが特徴。
  • オオシマザクラは花径が3〜5㎝ほどと大きく、開花と同時に葉も芽吹く。 Photo: 勝木俊雄
  • 八重桜の栽培品種である‘関山’
  • ‘普賢象’
  • 現在の醍醐寺の‘枝垂桜’
  • 熊野川流域に自生するクマノザクラの大きな一本桜。
    Photo: 勝木俊雄
勝木俊雄さんが発見したクマノザクラ Photo: 勝木俊雄

サクラは日本を代表する花であり、多くの海外の方にとっても日本を感じさせる花であろう。長年、サクラの研究や保存活動を行っている、森林総合研究所の勝木俊雄(かつき としお)さんに、日本でみられるサクラの種類や特徴について話を聴いた。

勝木俊雄さん

日本にある古来の代表的なサクラの種類には、どのようなものがあるのでしょうか。また、日本は外国と比べてサクラの種類の数は多いのでしょうか。

日本に元々ある野生のサクラの種(species)は10種あります。その中で古くから、鑑賞の対象となっていたサクラは、ヤマザクラが最も多く、続いてエドヒガンと、オオシマザクラを含めた三つが代表的な野生種です。

世界には約五、六十の種があり、主に北半球の温帯、特に冷温帯*を中心に分布しています。ただ、北米はわずか二種、ヨーロッパでは、三、四種しかなく、圧倒的に東アジアに多く分布しており、そのうち約三十種は中国にあります。この分布からも、サクラは欧米の人から「東アジアで見られる花」という認識へ通じるのかと思われます。

そして、海外においては、食用のさくらんぼを収穫するためのサクラ、セイヨウミザクラという種のことを指していることが実は多いのです。中国でもサクラは鑑賞対象としてはあまりみられていないようです。そのようなことから、英語でサクラ(cherry)は、果物のサクランボを意味しています。もっぱら花を観賞するサクラは、英語では「Flowering Cherry」などと表記しています。

ヤマザクラは白い花弁と赤い葉が開花と同時に開く。 Photo: 勝木俊雄
エドヒガンは花の後に葉が出る。花のつけ根の花床筒が膨らんでいるのが特徴。
オオシマザクラは花径が3〜5㎝ほどと大きく、開花と同時に葉も芽吹く。 Photo: 勝木俊雄

現在最もよく見かけるサクラの栽培品種‘染井吉野’(そめいよしの)は比較的新しく生まれた栽培品種と言われていますが、どのくらい前に生まれた種類でしょうか。また、日本におけるサクラの栽培品種はどのようなものがあり、(およそどのくらいの数があり)ますでしょうか。

まずは、日本におけるサクラの栽培品種の歴史からご説明します。鑑賞できる野生のサクラについて前述しましたが、より美しいもの、栽培しやすいものを、という時代の流れのなかで人々から望まれていき、栽培品種としてのサクラが登場するようになります。

サクラの栽培品種で一番古いのが‘枝垂桜’(しだれざくら)で、10〜11世紀には、その栽培の歴史が記録されています。今でも栽培されいている、とても古い‘枝垂桜’が国内の観光名所でも見かけますが、おそらくその時代からのものかと思われ、つまり1000年以上の歴史があります。日本の‘枝垂桜’がこのように長い歴史を持っていることを、私は世界的にかなり誇ってよいことかと思います。

その後、13世紀以降、オオシマザクラとヤマザクラと交雑した、見た目に豪華な栽培品種が一気に増えました。当時は、限られた上流階級の人たちが自宅の庭園に植えて、一般の人々はほんの一部を屋外から鑑賞する形だったのが、17世紀ごろになると、サクラを植える場所をわざわざ作って鑑賞する、という今のお花見に近いスタイルの楽しみ方も行われ始められていたようです。

そして、‘染井吉野’の由来ですが、19世紀中頃に、江戸の染井村(そめいむら。現在の東京都豊島区の一部)の人が、ヤマザクラの名所である吉野山(よしのやま・現在の奈良県の一地方)にちなんで吉野桜(よしのざくら)と名付けて売り出したのが、その始まりと言われています。‘染井吉野’は、エドヒガンとオオシマザクラの雑種と考えられています。比較的新しいといっても、その誕生から既に200年ほど経ています。つまり、1000年以上の歴史をもつ‘枝垂桜’や、‘関山’(かんざん)や、‘普賢象’(ふげんぞう)など400年以上栽培されている八重咲きの栽培品種に比べると、比較的新しい、という感覚であります。

日本ではサクラが愛好されたせいか、サクラの栽培品種は‘枝垂桜’や‘染井吉野’も含めまして、現在、100種類以上の栽培品種があります。

‘染井吉野’は成長が早く、様々な環境に適応でき、今では日本全国、公園や街路樹として多く植えられている。葉が出る前に花が咲くのが特徴だ。Photo: 勝木俊雄
八重桜の栽培品種である‘関山’
‘普賢象’

平安時代(8世紀末~12世紀末)、源氏物語など、数々の古典文学にサクラが登場しますが、それはヤマザクラでしょうか。また、日本の歴史上有名な人物でサクラを愛でた人は多かったと思いますが、どのような種類のサクラを好んだのかは分かっているのでしょうか。

古典文学に登場するサクラ、つまりその当時の人たちが見ていたサクラは、おそらくヤマザクラです。しかし、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)**が行った「醍醐の花見」(だいごのはなみ)***には、エドヒガンも混ざっていた節があります。オオシマザクラも、秀吉の時代には京都にもありましたので、この三種が見られていたのではと私は考えています。また、源氏物語(げんじものがたり)****「竹河」(たけかわ)*****で描かれているサクラは「白い花と赤い葉」というヤマザクラの特徴が描かれていたので、これはヤマザクラだろうと思います。また、古い絵画の中のサクラは、花や枝ぶりの描写がちゃんとしていれば、種類が分かるのですが、実際、上手にかき分けることはなかなか難しく、過去の文献や絵画から種類を特定するのは困難ではあります。

現在の醍醐寺の‘枝垂桜’

また、日本では古くは平安時代からサクラの花見の歴史は始まっていますが、昔は、新年に初詣、春の初めには梅、初夏には藤、と季節の風物詩がたくさんあり、その中の一つという存在でした。サクラの花見が行事として別格になっていったのは、おそらく19世紀後半のこと。その下地は、17世紀ごろにできました。今でいう、“プチ旅行”として、江戸の庶民が、上野寛永寺(うえのかんえいじ)や隅田堤(すみだづつみ)、飛鳥山(あすかやま)******などの、いわゆる花見の名所にみんなで繰り出し宴会をする、という文化が生まれました。そして、19世紀中ごろに、先ほどの‘染井吉野’が生まれたこともあります。‘染井吉野’は成長が早く、植えることで、簡単にサクラの名所を作ることができ、これが大きく花見を普及させたと思います。さらに、鉄道などの交通網の発達により、遠くまで人が移動することができるようになったため、遠くの花見の名所へ一斉に集まることができるようにもなったことも一因かと思います。そのような経緯から、サクラの花見が本格的に流行(はや)るのは19世紀後半以降です。

2018年に、約100年ぶりに新種として発表された「クマノザクラ」を発見されましたが、ご自身が心に残るサクラがありましたらご紹介ください。

やはり、私にとっては、クマノザクラが、圧倒的にきれいでいちばん心に残るサクラです。サクラを研究し始めて、「本当にサクラっていいな」と思い始めたのは、クマノザクラとの出会いが大きいのです。ぜひ、発見の現地、熊野地方一帯(和歌山・三重県の一部)*******で鑑賞していただきたいですね。花弁は薄いピンク色、花自体は‘染井吉野’より小ぶりで、まばらに花がつき、クマノザクラの方が細くて少ししなるような枝ぶりです。私は人に例えるなら、「山奥にいる巫女(みこ)さん********のような存在」だと皆さんに伝えています。そうした凛(りん)とした上品な印象があります。それに対して、‘染井吉野’は「都会のアイドルスター」。サクラの中でも、キラキラと華やかなイメージがします。

また、今後、研究したいと思っているのは、日本の中世に活躍した大歌人・藤原定家(ふじわら の ていか)*********がクマノザクラを実際に愛でていたのではないか、という仮説を立証したいと思っています。この時代は熊野詣(くまのもうで)**********が盛んだったので、何十回と熊野に訪れている際に、定家はクマノザクラを見ていた可能性は大いにあると思うのです。突き詰めていきたいテーマです。

熊野川流域に自生するクマノザクラの大きな一本桜。 Photo: 勝木俊雄

外国から日本を訪れる観光客の方々が、日本古来のサクラの花を観賞できるよい場所がありましたら、いくつかお教えください。

東京では新宿御苑(しんじゅくぎょえん)***********が、アクセスもよいのでおすすめです。また、日本古来の風景、サクラを見るならば、奈良県の吉野(よしの)でしょう。17世紀ごろまでは、庶民は山にあるヤマザクラを鑑賞することが、一つのスタイルだったので、それが現代でもきちんと残っている場所として、とても貴重です。そして、できれば、吉野の山を越えると熊野に至りますので、合わせてクマノザクラも見ていただきたいですね。古来のお花見ができる場所として、熊野エリアにもぜひいらっしゃってください。‘染井吉野’より早く開花し、3月の中旬が見頃です。

* 温帯のうち、亜寒帯に接する地域。
** (1536年又は1537年〜1598年)貧しい家の生まれから武将となり、関白、太政大臣となって豊臣政権を確立した。
*** 醍醐の花見(だいごのはなみ)とは、1598年、豊臣秀吉がその最晩年に京都の醍醐寺三宝院において催した花見の宴。
**** 紫式部(むらさきしきぶ)によって書かれた、長編物語。日本を代表する古典文学として、世界的にも有名。全 54 帖。
***** 「源氏物語」第四四帖の巻名。
****** 東京都内の桜の名所。上野寛永寺は台東区、隅田堤は墨田区、飛鳥山は北区にある。
******* 熊野地域にある熊野本宮大社(ほんぐうたいしゃ)・熊野速玉大社(はやたまたいしゃ)・熊野那智大社(なちたいしゃ)の熊野三山とそれらに至る熊野古道などは、2004年にユネスコの世界遺産に登録された。
******** 神社に属し、神職を補佐し、特定の神事に奉仕する女性。
********* 1162年~1241年。鎌倉初期の歌人、歌学者、古典学者。歌壇の指導者として活躍。「新古今和歌集」の撰者の一人。百人一首を編さんしたことで有名。「ふじわら の さだいえ」とも言う。
********** 熊野地方の本宮、新宮、那智の三つの神社(「熊野三山」とも言う。*7を参照。)に参詣すること。
*********** 東京都新宿区にある、環境省が管理する国民公園の一つ。