September 2023
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小袖 白綾地秋草模様(こそで しろあやじ あきくさ もよう) 尾形光琳筆
日本の伝統文化の象徴でもある「キモノ」。その原点は、江戸時代(17世紀初頭~19世紀後半半ば)の「小袖」にあります。この時代に、宮廷の貴族や武家から庶民に至るまで、幅広い世代で表着として用いられるようになった小袖は、刺繡や絞り、型染などで華やかに装飾されるようになりました。今回は、江戸時代の小袖の中から、京都出身の絵師・尾形光琳(おがたこうりん)(1658年~1716年)が模様を描いた衣装を紹介します。
小袖の背面を画面に見立てて、秋草が風にそよぐ草原が描かれています。日本には古くから秋草を愛でる趣向があり、古代日本を代表する歌人の一人、山上憶良(やまのうえのおくら。660年~733年頃)は、特に和歌を詠んで、秋の野に咲く七草*を褒(ほ)め称(たた)えました。この小袖には、それら七草の中から透明感のある淡い青色の桔梗(ききょう)を主役に、薄(すすき)、萩などが白菊とともに描かれています。桔梗の花は、星のような形にデザイン化されています。また、背景を細かに写実的に描くということはせずに、草むらの一部を表現するだけで、広い草原をイメージさせるような印象的な描き方をしています。独特の表現様式は、のちに「琳派(りんぱ)」と称される装飾性の高い日本絵画の創始者、尾形光琳の画風の大きな特徴となっています。
尾形光琳は、16世紀の終わり頃から続く京都の老舗の呉服商・雁金(かりがね)屋の次男に生まれました。屏風や掛軸といった絵画以外にも、蒔絵(まきえ)の硯箱(すずりばこ)をデザインしたり、陶芸家となった弟の乾山(けんざん)のために、茶碗のデザイン画を描いたりしました。中には、乾山の作陶した器に光琳が絵付を施した合作も見られます。光琳の絵には、花鳥や流水など自然の造形をデザイン化し、生活の中に華やかで装飾的な空間を創出する力があります。光琳は、京都で画家として成功すると、宝永元年(1704)頃に江戸に下向し、絵師としての活動を続けました。江戸で最初のパトロンとなったのが、深川の材木商・冬木屋でした。そのお礼として、冬木屋の奥方のために描いたのが、この小袖であると伝えられています。
当時、有名な画家に直接、着物に模様を描かせた「描絵小袖(かきえこそで)」は、一点ものの贅沢な衣装として、裕福な町人女性の間でもてはやされていました。由之軒政房(ゆうしけん まさふさ)が記した浮世草子**『好色文伝受(こうしょくふみでんじゅ)』(元禄十二年(1699年)刊)にも「白い繻子(しゅす)***に墨絵の松を光琳に描かせた衣装が、なんとも言えず成熟した感じである」とあり、実際に光琳が描いた小袖が人気だったことをうかがわせます。おそらく光琳も、冬木屋の奥方にせがまれて筆をとったのではないでしょうか。
しかし、冬木屋はその後没落し、この小袖は、長らく行方不明でした。流浪の末に、明治六年(1873年)に東京国立博物館の所蔵するところとなりましたが、その時には、もう着用することができないくらいにボロボロに傷んだ状態だったのです。しかし、付属していた巻物の中に、この小袖を正確に写した絵画とともに「冬木家のために尾形光琳が描いたものである」と記されていました。光琳直筆の貴重な衣装として、博物館にもたらされたのでした。現在ではその絵をもとに修復した作品を、随時、展示に供しています。
* 日本の秋の花を代表する七つの植物を指す。ハギ、オバナ(ススキ)、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、アサガオの7種で、「万葉集」に収められた山上憶良(やまのうえのおくら)の歌に詠まれている。ただし、歌のアサガオは、現在のキキョウとする説などがある。
** 江戸時代中期の小説の一形態。17世紀後半半ばから、大坂、京都を中心に約100年間にわたる現実主義的・娯楽的な町人文学をさす。
*** 経(たて)糸と偉(よこ)糸の交差する点をできる限り目立たないようにし、織物の表面に経糸あるいは緯糸を長めに浮かせた織り方。
案内:東京国立博物館 本館10室「日本美術の流れ 衣装」
「重要文化財 小袖 白綾地秋草模様」は、2023年10月3日 ~ 2023年12月3日まで展示されています。
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